思うこと

温故知新

ここでは私がふと思ったことについて書いてみた。中には少し極端な言い方をするものもあるが、簡潔にしたいのでご容赦ください。

今、若い人たちに一番言いたいことは、この温故知新とい言葉だ。とかく「古い」というだけで過去の物事が見向きもされない風潮があるが、現在は過去の積み重ねによって形作られていることを忘れてはならない。それにはそれなりの道理があるのだ。そのことを考えずに新しいものばかりに飛びついていては、将来に期待する発展を積み重ねることができない。

平成・令和と移り変わって

近頃あれこれ考えていると、ふと、この令和の文化(といっても実質、平成の文化だろう)が嫌いなんだろうと思うことがある。
どうしても、王道を追求せずニッチな、変わりもの(古い言葉で言うと「色物」)ばかり追いかけて人の歓心を買おうというように見える。

その反動というか、古き良き伝統文化を継承する人間が減少し、やがて消滅していくものもあるだろう。時折、素晴らしい文化だから消滅させてはならないと外国の人間が学んでいるのを見ることがあるが、うれしい反面、寂しい気がする。

令和ことば

近頃の言葉遣いには違和感を感じる。たとえば、注文したカレーライスを持ってきて「カレーライスになります」とはどういうことだ。いつなるの?では、これは何なの?と言いたくなる。

「そう神経質に考えるな。言葉は時代と共に変わっていく」などと言うが、それはどのような人が主張するのか?

言葉は、文学にあるように気持ちを表現することと、そしてもう一つ、事実を正しく伝えるという役目がある。

上のカレーライスの話は、文学的な曖昧な表現は必要ない。事実を柔らかであるが正しく伝えなければならない。

それが問題にならないのは、無意識に右の意味として聞き取っているからだと思う。会話の場合どんどん先に進むから、それぐらいの雑な聞き方で済む。
ところが「取り扱い説明書」のような文書になると問題になる。読む側は、書いてある通りに解釈しようとするから「カレーになります」なんて書かれたら「いつカレーになるんだろう」と疑問になり、調べようと苦労する。


令和言葉おじさんならこう言う
~かなと思う。~と思う。
~と思っています。~と思います。

もしそれが自分の気持ちや考えを言っているならば、「かな」といわれると他人事のように聞こえてくる。はっきりしてくれ!と言いたくなる。「~と思っています」は、現在進行形であるから過去のことが連想される。過去が関係ないなら「~思います」とすっきり言ってほしい。

共通して言えるのは、語を多くして、かえって不明良になったということ。こういうのも蛇足というのだろう。

インターネットの世界

インターネットの世界は無法地帯だ。

日本のドラマ

日本の映画・ドラマはどうなってしまったんだろう。演技のことである。ストーリーは、まあ「映画」だからおかしいと言うつもりはない。しかし、人のその振る舞い、話し方、言葉使い、表情について、昭和の感覚でいうと"ヘタ"、ふざけているようにしか見えない。知り合いは「学芸会」だと言う。そんな演技が気になってストーリーに入り込めないのだ。

なぜ、一様にこんな演技をするのか?

必然性の無い演技で、しかもそれをふざけてやっているのが気になる。普段、人がそんな行動をしない振る舞いを演じている。普段通りに動けばよいものを「それでは演技したことにならない」とでもいうように余計な演技をする。または、やるべきことをしていない。

私は、映画やテレビの演技と舞台劇の演技は異質なものだと思っている。舞台の上の演技では、離れてみている人にもよく分かるように滑舌よく声を張り上げ、動きを大きく、すべが誇張される。そうした動きが見どころにもなっている。

そいいう日常では見られない演技が日本では映画の演技に滲みだして視聴者に違和感を思わせている。

流行(はやり)

流行は、目立ちたいと思う一部の人間と、従来の形を変えて目新しさで市場を開拓しようする企業の思惑によって生まれる。物にもよるが、20年も経てばだいたい目新しく見えてくる。

は、僕が20歳~30歳のころ流行った形が好きだ。その頃はスーツが中心で、サイズは大きすぎず小さすぎず、ぴったりだが必要なゆとりもあってシワがよりにくい。生地の織り、糸・色合い・模様も豊富で、自分気に入るものを探し出すことも楽しかった。冬はオーソドックスなコートだ。ダウンコートはシルエットが美しくないから着なかったが、寒さくて震えることが多かった。

たまにドラマで昔流行った服などを見ると、当時、自分が着ていたものを思い出したりして懐かしい。

商売

昔は「女子供相手に商売してはダメだ」と商売人の間で言われていた。駄菓子屋の話ではない。

何故そう言われるかというと、子供が求めるものは目新しいもので、良いものであるということがさほど重要ではないからだ。それは、製品の質の低下につながる。質の低下を避けたいのなら、たとえ売り上げが伸びなくとも我慢をしてきちんとしたものを揃えていくべきなのだろう。

今、目先の利益ばかり追って、むしろ、そうしないことが悪であるかのような世の中になっている。

テレビ・映画は子供相手に作られたものがほとんどであるが、以前ほど見応えもなく、そして業界も下火になっている。

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